2006年07月11日

沈黙できない人への対処法 教えます

先日「沈黙は金」という記事をUpしたが、今回は頭突きをしなくても(汗)執拗に神経を逆立てる言葉を投げつけてくる相手を黙らせる事ができる対処法を書いてみたいと思う。

昨年のある日の事、知人と2人で街を散歩しているとある女性に声を掛けられた。
この女性、知人の夫の親類で私とも面識があるらしいのだけど、私にとっては記憶の片隅にも存在がない人。まあ、とりあえず挨拶しておこう、と思ったのだが、向こうは挨拶代わりと思ったのか「まあ、あなたまた太ったわね〜」と来た。

・・また出たよ〜「デブ」呼ばわり(--メ)というより、アンタといつ会ったよ?

以前サイトの方でも挨拶代わりに「太った?」と聞かれて憤慨した話を書いた事があったけど、その時は「何で会う度にデブデブデブデブ言うわけ?あんた他に聞く事ないわけ?」と逆襲に転じた事で相手を沈黙に追いやったのだった。

でも、今回は作戦変更

ニッコリ笑って笑って〜〜〜

「ええ、そうなんです〜。だってオットが沢山食べさせてくれるからつい太っちゃって〜。こういうのって幸せ太りなのかしら〜^0^(本当はストレス太り>汗)」

相手も一瞬不意打ちを食らった表情を見せたが、直ぐに「それはよかった。ハッハッハッ」と一緒に笑い始めた。

その後、デブ呼ばわりされた当の私より一緒に歩いていた知人の方が「全くここの人って(注:知人は外国育ち)失礼な事平気で言うよね〜」と何故か失言に対して憤慨していたけど、まあ、本当にデブだから仕方ないし(汗)、こちらの不意打ち的な対応にどう反応していいのか一瞬戸惑う相手を見るのも結構楽しいものである。「アハアハ」とひきつり笑いしながら何の考えなしに口から出た一言を後悔しているような人もいるけど、それは仕方がないの。だって相手がどう思うのか何の考えもなしに言葉にしちゃうあなたが悪いんだもの(^^;)

そしてこの翌日、オットが発言の主に出会ったのだが(どうやら割と近所に住んでいるらしい)先日の失言の件のお詫びのつもりらしくぬいぐるみを貰って帰ってきた。オットは私達のやり取りについて話を聞いて知っていたので、思わず笑ってしまいそうになるのを押さえていたらしい。

私は何でも言った者勝ちになんかさせるつもりないので、沈黙できない方はそのつもりで声を掛けてくださいね(笑)笑えるけど一瞬「ドキッ」とするような応えを用意してお待ちしてますので☆







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2006年06月16日

沈黙は金

背中越しに聞こえる会話に「聞こえないと思って言いたい放題だな」と苦笑した事はありませんか?

@前回帰省した際、バスの中で後ろの席から聞こえてきた女子高校生の会話

<女子高生A>
(うちの息子を指して)あの子さ〜、ハーフっぽくない?ハーフっていいよね〜
<女子高生B>
え〜、あの子ママにそっくりだよ。日本人だって!
<女子高生A>
そうかな〜?だって髪の毛茶色っぽいし、カールかかってるよ〜
<女子高生B>
でも、あの位のカールしてる子も髪茶色い子もいるって〜
<女子高生A>
そうかな〜(で他の話題に移る)

当の息子が聞いたら「余計なお世話だ!」と思うかもしれませんが、「聞こえてるって分ってるのかしら?」と思わず苦笑(^^;)

A正確には後ろではないですが、通路を挟んだ席に座っていた女子高生
<女子高生C・D>
(私と一緒に座っていたダンナに向かって)ハロ〜
(ダンナ無反応)
<女子高生C>
なんだ、よく見たら大してかっこよくないじゃん(→「全然」の間違いです>爆)
<女子高生D>
しかも何気にハゲてるし〜

日本語が分らないと思って言いたい放題の彼女達でしたが、言われている意味が分っているダンナは沸騰寸前(^^;)

日本では「沈黙は金」ということわざがありますが、こういった場合には確かに黙っていた方が賢いかもしれないですね。

ところで、沈黙を良し、とするのは意外にも?ボスニア人も同じなようです。
確かに文字通り「沈黙は金」を意味する「Cutanje je Zlato(Cは上に点がつくチュ)」という諺も辞書に載ってます。
その割りには考える前に言葉を発している人を良く見かけるですけどね〜

というわけで今度は背中に耳あり@ボスニア編

買い物に向かう途中で私の後ろを歩いていたカップル

<女>あら、中国人が歩いているわ〜。全く
<男>まったく奴らはどこにでもいるんだよな〜、何なんだよ一体

全くまた中国人と間違ってるよ、おいおい・・と思いながら何も耳に入らない素振りでそのまま歩き続けると、ダンナの親戚に遭遇

あら〜○○、こんなところで何やってるの?
<親戚>あら、Snajka(親戚の嫁の意)、あんたこそこんな暑い中どこにいくのよ?

こんなファミリーな会話を交わす横を、例のカップルが気まずそうに通過。
目の前を現地語が分る日本人(とは分っていなかったかもしれない)、しかも現地に「Snajka」と呼ばれる身分で定住しているとは思いもしなかっただろうが、見かけがまるで外国人でも油断してはいけないという事を身にしみて感じたに違いない。バカだね〜。大体ここの人達聞こえないとか理解できないと思うと言いたい放題だけど、思いがけなく反撃されるとバツが悪そうにするから本来は気が小さいんじゃないかと思う。

こうした日常の世界に限らず、昨今はこうしてサイトやブログなんかでも思った事を世間に発表する機会が増えた。きっと大して読まれてないだろう(特に自分が使っている言語が理解できない人達)と気を大きくして思うがままに書き綴ってるブログを見かける事があるけど、実はネット上自分が知らぬ間に意外な人と繋がっている事もあるし、翻訳サイトの質の向上で多言語の文章もかなり細かい部分まで意味が通じるようになっているというから、これまで油断して散々思いの丈を書き連ねていた人は真っ青かもね(汗)

背中に耳あり、ネットに目あり(?)、日常の生活にしろネットにしろ、思った事を口に出すのはほどほどにしておくのがよいのかも。
posted by Mic'o at 16:41| Comment(9) | TrackBack(0) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月08日

アジサイの花<追記あり>

夏並みの日差しが注いでいた5月中旬から一転、ここ2週間程は薄手のセーターで丁度いい位の肌寒い日が続いています。

そういえば、ブログでもお世話になっているわはは大空さん、このみのママさん、そしてAn-chanさんが集まって「旧ユーゴ在住(当時)奥様オフ会」を開催したのも丁度この時期でしたが、あの時も天気に恵まれず折角セルビアから遠路来て下ったAn-chanさん夫妻には残念な事になってしまいました。そういえば我が家に日本のお客様がいらっしゃる時って何故か雨に振られる場合が多いかも・・

日本の梅雨前線が発達しすぎてボスニアに到着したかのようなぐずついたお天気ですが、我が家の庭にはアジサイが花を付け始めました。
この時期になると小学校の教室にかならずクラスメイトが持ってきたアジサイが花瓶に活けられていたのを思い出します。
実はボスニアの我が家にも初夏になるとアジサイが花をつけるのですが、華やかなバラの花と比較してその存在は地味なせいか、ダンナですら気にも止めていない様子です。日本育ちの私にとってアジサイは梅雨を連想させる花として親近感を感じるけれど、ボスニアには梅雨はないですもんね。
でも、アジサイについてネットで検索してみるとそもそもは日本から欧州に渡って改良されているものなのですね。日本に由来する花が我が家に根付いているなんて嬉しいじゃないですか?すぐさま仕事から戻って来たダンナにも伝えましたが、これで少しは愛情をもってアジサイの存在に気を向けてくれるようになるでしょうか。

いつもは花瓶を飾るバラの代わりに色付き始めたばかりのアジサイを活けてみました。アジサイの学名はギリシャ語で「水の器」を意味する「ハイドランジア」との事ですが、日本では梅雨の時期に沢山の雨のしずくを受けるアジサイにピッタリな表現だと思います。ちなみにこちらの言葉では「hortenzija」と呼ばれます。

ajisai.jpg

アジサイの花を見て、このブログに遊びに来てくださっている方のお父様の事を思い出しました。多分この記事を読んでくださったら気が付いてくれると思うけど、お別れの時からもう1年を迎えるのですね。実際にお父様とお会いした事はないけれど、時は流れてもアジサイの花が咲く度にあなたのお父様の事、そしてあなたとこの地で知り合った事を想い出すと思います。写真で申し訳ないのですが、我が家のアジサイ、お父様の一周忌に捧げさせて下さいね。

<追記>

相互リンクさせていただいているギリシャ在住のchottocafeさんが9日付の記事(「挿し木のあじさい、その後」)にて、現在ギリシャ語とセルビア語におけるアジサイの名の由来について調査して下さっています。
↑でアジサイの学名がギリシャ語の「ハイドランジア(Hydrangea)」である事を紹介しましたが、現代ギリシャ語でアジサイは「Ortansia」と呼ばれているそうです。ギリシャ語の「ortansia」とセルビア語の「Hortenzija」、どこか似ていると思ったら、なんとその由来はあるフランス女性オルタンス・ルポートの名にあることが判明!
興味のある方はchottocafeさんのブログの方へどうぞ☆

http://chottocafe.blog37.fc2.com/blog-entry-111.html

posted by Mic'o at 19:51| Comment(10) | TrackBack(0) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月30日

Dogodilo se u Atini Part2/宴の後で

ボスニアとしては史上最高の3位という成績をアテネ土産に大会翌日夜に帰国したハタ・マタ・ハリ(+ボスニア代表団)の一行は、パスポートコントロールから出てくるや否や、空港で待ち構えていた多くのボスニア国民から祝福を受けました。

halidolazak.jpg

空港前でハリのスピーチ&「レイラ」の大合唱(BHT1より)


そしてハリ様御一行は、「Dogodilo se u Atini(アテネで(それは)起こった)」と題された特別番組に出演する為テレビ局へ直行。VTRで今大会の自分達や上位を占めた国々のパフォーマンスや投票発表の様子等を振り返りました。その時のこぼれ話によると、今大会のお騒がせだったアイスランド代表(予選で敗退)は何かと問題を起こし最後には警察沙汰にもなったようなのですが、どうやらハリ達の控え室(?)が彼らの向かい側あたりだったらしく、色々大変だったようです(汗)
また、ハリのバックでアコーディオンを弾いていたように見えたコーラスの女性は、実際のところアコーディオンは弾けないという事が判明。彼女曰く演奏しているように見せかける為頭の動かし方にも気をつかったらしいです(笑)

hariuatini.jpg

今大会本選でのハリ・マタ・ハリ

また、今大会で優勝をさらったフィンランド代表のLordiについては、彼らの勝利に対して否定的な考えはなく、むしろ彼らの健闘を称えるコメントをしていましたが、ハードロックがこれだけの票を集めた原因として、モンスターが多く登場するビデオゲームやアニメーションに影響を受けた子ども達、特にまだ週末に夜の外出をする習慣がないローティ−ン世代がこぞって彼らに投票したのではないだろうか、という見解を発表していました。
また今回の「モンスター」の勝利に関して、ボーカルのハリは事前に息子のダミルから「モンスターを侮らない方がよい」との警告を受けていた事もあってか、淡々とフィンランド代表の勝利を受け止めていた雰囲気がありました。

ただ、後日友人とこのテーマについて話をしたのですが、彼女は別の見解があって、「ローティーン世代がそれ程この大会に興味を示すとも思わないし、電話投票が全てのパフォーマンス終了後の夜11時過ぎの10分間で行われるのに、子ども達がそんな時間まで子ども達が起きて投票に参加するか非常に疑問である。この大会の結果は賭けの対象にもなっていたからその絡みもあるのでは」とハリ達の結果分析に否定的な考えを見せました。

ただ、来年以降はハードロックバンドが代表に登場しても「二番煎じ」と受け止められて見る方に衝撃も目新しさも与えないでしょうから、再び見た目ではなくパフォーマンスの内容が評価されるようになるのではないかと思うのですがどうなるでしょうか。

話はまたハリ・マタ・ハリに戻りますが、今回ボスニア代表団として参加した男性の1人が93年に(多分ボスニアとしては初めて)大会に参加した際のエピソードを紹介したのですが、その際に「当時は内戦中だった事もあり参加するだけでよかったけれど、今は結果が求められる」といった事を話していました。それを受けて司会者も「『世界中の全ての痛み(93年参加時の楽曲名)』がボスニアに集まっていたような時代から、今やボスニアは発展が求められる国となったのです」とまとめていましたが、参加するだけでは意義が求められなくなったという事に内戦後のボスニアの復興を感じる事ができる反面、まだまだ残る修復作業と発展を並行して進めていかなければいけないこれからがまさしくボスニアの正念場です。

(おまけ)
↓は今回のEUROSONGでのボスニア3位入賞に際し「彼ら(政治家)は中身の無い話で私達を欧州(EU)に連れて行こうとしてるけど、ハリと一緒なら歌で欧州レベルに達する事が出来たわ」とボスニアの視聴者が会話している様子を描いた風刺画。(Dnevni Avazより)

saharijemzaeu.jpg
posted by Mic'o at 19:50| Comment(6) | TrackBack(0) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月29日

Dogodilo se u Atini/レイラの行方

気になる事×2」等で取り上げたEUROVISON Song Contest(以下EUROSONG)。既に本戦が終了してから1週間程経ってしまった為ネタの鮮度はかなり落ちてしまったと思われますが、先週末に関連番組の再放送があったので、当日と本選翌日の流れを追いながら結果報告をさせて頂きます。
こんなタイミングを外した話題で申し訳ないのですが、余りにも長文になる予定なのでPart1とPart2に分けて掲載したいと思います。

ちなみにタイトルの「Dogodilo se u Atini」とは「アテネで(それは)起こった」という意味です。何が起こったのかは読んでからのお楽しみ(という程の事かは分りませんけど>汗)
==============

当日は残念ながら8:00PMから仕事関連のディナーが入ってしまった為、本選の生放送を視聴する事はできなかったのですが、ディナーの為に入ったレストランの下から随時歓声が沸いていたので、皆時間をちらちらみながら「きっと今ボスニアの出番が終ったんだろう」とか「きっとテレビ投票に参加しているどこかの国から最高得点をもらったんだろう」などと大会の結果が気になる様子。(内心、だったらディナーの時間を繰り上げればよかったのにと思ったり・・)
結局ディナーを終えてレストランを出た時には11:30PMを廻っていて、ホテルに戻る道すがらタクシーの中に流れるラジオで各国の投票の流れを追っていたのですが、ボスニア代表は上位3国に食い込み優勝も狙えそうな勢い!

タクシードライバーのお兄さんと「ボスニアが優勝するのはいいけどさー、来年の大会を開くだけの金がないよなー」「いやいや、いざとなったら支援を求めればいいんじゃない?」などと談笑を交えながら優勝の行方に耳を傾けていたのですが、終盤周辺国からの友情票を集めたものの優勝はハードロックで観客+視聴者に衝撃を与えたフィンランドで、ボスニアは結局3位に留まりました。ちなみに2位はロシアでしたが、白いグランドピアノから白塗りのバレリーナがむくむくっと登場したり、と観る者の意表をついた演出がよかったと思います。

hardrock.jpg
優勝したフィンランド代表のハードロックグループ「Lordi」(BHT1より)

フィンランドの、というよりハードロックの勝利は様々な波紋を呼びましたが、パフォーマンスの1つとして見る分には異論はないけど、ヨーロッパを代表する歌謡祭の覇者としてはロシアに軍配を上げたい、というのが私の見解です。でも、ボスニア代表のハリ・マタ・ハリのパフォーマンスは決して贔屓目ではなく優勝しても納得がいくパフォーマンスだと思いましたし、何よりこの大会の場合友好国が多い程高得点獲得が期待できるというのが慣習なので、高得点だからといって必ずしもパフォーマンスの質と比例しているとは限らないのですよね。参考までにフィンランド、ロシア、ボスニアの上位3カ国が獲得した得点の流れを少し追ってみました。

1位 フィンランド
・視聴者電話投票でフィンランドに最高得点(12点)を与えた国

デンマーク、エストニア、ギリシャ、アイスランド、ノルウェイ、ポーランド、スウェーデン、イギリス

・視聴者電話投票でフィンランドに全く点数が入らなかった国

アルバニア、アルメニア、モナコ


2位 ロシア
・視聴者電話投票でロシアに最高得点(12点)を与えた国

アルメニア、ベラルーシ、フィンランド、リトアニア、ウクライナ

・視聴者電話投票でロシアに全く点数が入らなかった国

スイス

3位 ボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニア)
・視聴者電話投票でボスニアに最高得点を与えた国

アルバニア、クロアチア、マケドニア、モナコ、スロベニア、セルビア・モンテネグロ(当時)、トルコ、スイス

・視聴者電話投票でボスニアに全く点数が入らなかった国

アンドラ、ラトビア、イギリス

お約束通り、フィンランドは主に北欧諸国、ロシアは旧ソ連、そしてボスニアは旧ユーゴ諸国から票を集めているのが分ると思います。
ただ、友好国同士の票の送り合いを擁護するわけではないのですが、友好国が多いほど、どの国に最高得点を送るべきか悩みもあるような気がするのですけどね。

また得票の流れに1つの相対関係を見出しました。
ボスニアに最高得点が送られている国からフィンランドには全く点が入らなかった(もしくはその逆)だったという事です。これは音楽の好みによるものなのか、フィンランドと良好な関係を保っている国とボスニアの関係が宜しくないのか(もしくはその逆)、それとも単なる偶然なのか。ちょっと興味を惹かれました。

モナコ(ボスニア12 フィンランド0)
イギリス(フィンランド12 ボスニア0)
アルバニア(ボスニア12 フィンランド0)

Part2に続く・・
posted by Mic'o at 18:22| Comment(3) | TrackBack(0) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月20日

気になる事×2

明日(土曜)から数日間出張にでかけるMic'oです。
この出張中に国外で起こる予定の出来事で気になる事が2つあります。

1つは欧州諸国を代表する歌手が競うEUROSONG。
ここ数年は毎年サイトやブログにて結果をお伝えしていますが、今年は土曜の本選に先駆けて昨日(18日)に予選が行われました。
「ビッグ4」と呼ばれる前年の結果に関わらず直接本選に出場できる国(確かイギリス、ドイツ等→未確認です)+昨年好結果を出した国はこの予選は免除されるのですが、ボスニア・ヘルツェゴビナは昨年の結果が振るわなかった為、今大会は予選からの登場となりました。

今年のボスニア代表ハリ・マタ・ハリと楽曲「レイラ」に関しては3月7日付けのブログ「ここらで本気をだしてきた?!」紹介したのでここでは省略しますが、予想よりもシンプルなパフォーマンスだったにも関わらず問題なく予選をクリアし本選へ駒を進めました。

本日夜7時のニュースでも予選通過のニュースが取り上げられ、ボスニア国民のハリ・マタ・ハリに期待する声が紹介されましたが、60代くらいの男性のコメント「ああいった大会には色々裏があるから、7位か8位には入るんじゃなかろか」という現実的な声も(^^;)裏というか、投票は周辺国もしくは友好国同士の票の与え合いが大きく響きますから、旧ユーゴ諸国(+旧ユーゴ移民の多い国々)から高得点が期待できるボスニアは逆に優位なのではないかと思うんですけどね。
ハリ・マタ・ハリには本選でも大人の歌をシットリと聴かせてもらいたいものです。もし、ボスニアが優勝という事になったら出張先のサラエボは盛り上がるだろうなーとちょっと期待しております。Sretno!

そして、もう1つ気になる事といえば、日曜に行われる独立の是非を問うモンテネグロの国民投票の行方です。55%が「Za」(独立賛成)に投票すれば、いよいよ旧ユーゴが完全に解体するわけですが、もしこの数字に満たなかった場合は3年後に再度独立の是非を問うことになるそうです。また独立後の在セルビアのモンテネグロ人のステータスも大いに気になります。(勉強不足ですみません>汗)
kojeprotivnik.jpg

↑の風刺画は3月にバニャ・ルーカのギャラリーで展示されていた作品の1つです。
既に開幕まで1ヶ月を切ったW杯がテーマで、大会の抽選会で司会が
「この試合前半セルビア、後半モンテネグロと戦う国は・・」と抽選結果を発表しているシーンです。本当微妙な時期のW杯出場となりましたが、秋からのEURO2008予選にはそれぞれセルビア、モンテネグロとして出場する事になるんでしょうか?









posted by Mic'o at 03:49| Comment(12) | TrackBack(1) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月16日

Si vas para Chile..

先日チリのミチェル・バチェレ大統領がバニャ・ルーカを訪問し、大統領評議会議員(※1)であるバラバツ氏と会談、そしてEUFOR(※2)の一員としてバニャ・ルーカ近郊に駐留しているチリ軍を慰問しました。
この後日に欧州連合(EU)・中南米・カリブ諸国首脳会議が開かれた為、この会議に参加する途中、どうせ近くまで行くのだからついでに自国軍が展開するバニャ・ル−カ(正確にはバニャ・ルーカを含むボスニア北西部)に立ち寄ったのだろうといった程度に考えていたのですが、私と同期でチリに留学していた友人によるとバチェレ女史は大統領に就任する前は国防長官(ministro de defensa)を務めていたそうで、そういった意味でも彼女にとって同国軍隊は特別な意味があるのではないかとの事でした。なるほどね〜

(※1)ボシュニャ−ク人(ムスリム系)、クロアチア人、セルビア人の各代表で構成され、輪番で議長(=国家元首)を務める。現在の議長はクロアチア人のイーボ・ミーロ・ヨビッチ(Ivo Miro JOVIC)

(※2)ボスニアの和平維持の為展開していたSFOR(NATO中心)に代わり同様の目的で2004年12月から駐留するEU軍(EU−FORCE)。但しEU諸国だけでなくカナダやチリ、トルコといった非EU諸国も参加している。ちなみに私が住むデルベンタにはポルトガル軍が駐留。

eufor.jpg
(EUFOR所有の車両。サラエボにて撮影)

私がチリ軍がボスニアに駐留しているのを知ったのは昨年夏の事で、友人2人とバニャルーカ市内の公園を散歩している時でした。手前からSFOR(当時)の軍人とその通訳と思われる女性が歩いてきて、こんな街中の公園をパトロール中なのかそれとも暇を持て余してお散歩中なのか・・と思いつつ通りすがりざまに兵士の腕に付いている腕章へ目をやると、
これがなんと懐かしのbandera nacional de Chile(チリ国旗)ではないですか!
留学以来一度もかの地を再訪していない薄情な私なのに、国旗を目にした事でチリに対する懐かしさが溢れてきて、思わず兵士に握手を求めたくなったが、相手は勤務中(かもしれない)の兵士。そして私は団体行動の身。惜しいけど、ここは涙を飲んでチリ人の存在が確認できた事だけで感謝しよう。そう思って後ろ髪を引かれつつその場を離れつつあった私だったのに、人生は一期一会、恥は一時とばかり、この数分後

「悪いけど、ちょっと先に行っててくれる〜!!」

と友人達に言い残し、逆方向へ去っていくチリ人兵士御一行様を追いかけ、ミュールで全力疾走していたのでした。(汗)

幸い、後ろからゼエハア言いながら迫ってくる東洋人女性に警戒して銃を向ける事無く、チリ兵士+通訳の方々は暖かく応対してくれました。しかも丁度彼らもティータイムにしようと思っていたところだったらしく、友人達が待っているカフェでしばし一服。思っていた以上に錆びがこびり付いたスペイン語(+通訳のお姉ちゃんの助け)でチリトーク。お約束(?)でチリのスラングに大ウケしたり、記念撮影したり、兵士の方々にも楽しんでいただけたようで、最後に1人の兵士の方が自分の腕から腕章を外し、裏面に3人のサインを入れてプレゼントしてくれました。

zastava.jpg

思いがけなく、記憶だけのみならず形にも残る思い出ができて満足した一時を過ごした私ですが、慢性運動不足な上にヒールの高いミュールでのダッシュが相当こたえたようで、翌日はまともに歩く事ができないというオチがついたのでした(泣)ちなみにボスニアで日本人を見かけても全力疾走で追いかけていく事はないので、訪問予定(もしくは滞在中)の皆様はご安心下さい。

そもそも旧ユーゴにこれほどの関心を持つようになったのはチリ留学中のある出来事(といってもサッカーの試合ですが)がきっかけでもあるし、もう長い事その土を踏む事はなくても、私にとって特別な思い入れのある国には違いありません。残念ながら普段の生活にチリとボスニアの繋がりを感じる事は殆どないのですが、チリ大統領の訪問やチリ軍兵士との出会いに小躍りする自分の心の中でボスニアとチリが繋がっていることを感じるのでした。


♪ Si vas para Chile, te ruego viajero, 
  le digas a ella que de amor me muero・・

              (「Si vas para Chile」より一節)

※「Si vas para Chile」
チリ国民の間でよく知られている祖国への望郷の想いを込められた歌。
検索したところ、日本でもさだまさしが歌っていた事が判明(さだまさしサイトに歌詞あり。但し英語バージョン)www.sada.co.jp/masashi/lyric/esivaspa.htm
posted by Mic'o at 02:48| Comment(8) | TrackBack(1) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月08日

「出身地はどこですか?」

先のトリノオリンピック金メダリスト・荒川静香選手がプロへの転向を発表しましたね。街角インタビューでは競技生活からの引退を惜しむ声が多く聞かれたようですが、スケート界からの引退ではなく、プロとして新たな気持ちでスケートを楽しみつつ、これまで通り(もしくはそれ以上に)美しいスケートで魅せてくれるのですから、新たな門出をお祝いしたいと思います。

さて、我が家のみっしゅ(息子)と誕生日が同じ事で親近感を感じていた荒川選手ですが、色々検索しているうちに彼女の出身地の謎を発見。これは彼女のお母様がマスコミから出身地を尋ねられた際、出産した病院がある品川を挙げた事から「東京都品川区」出身と報道されるようになったようなのですが、お母さまが出身地=出生した病院と答えてしまったのは、マスコミ側が出生地を「生まれたところです」と説明した為で、実際のところは当時住居を構えていた「神奈川県鎌倉市」が出身地だそうです。でも、金メダル獲得後の凱旋パレードなどは仙台で行われているし、荒川選手といえば仙台、というイメージが強いですね。
(※この記述は同選手関連のサイトで紹介されていた荒川選手のお父さまのコメントを参考にしていますが、大分前に読んだので出典が分らなくなってしまいました。もしサイトの管理人の方がお読みになって問題のある記述を見つけられましたら御連絡下さい)

これで思い出したのが数年前にある取材でサラエボの子ども達に生まれた場所を尋ねた際のエピソード。10人近くの子どもに質問したと思うのですが、彼らの口から出て来た答えは判を押したように「コシェボ!」。コシェボというのは内戦中サブグラウンドが墓地と化したサッカースタジアムやオリンピックの舞台となったゼトラリンクでお馴染みの場所ですが、この地区に建っている公立の総合病院では多くのサラエボ市民が出産に臨みます。(※妊娠中の検査はプライベートクリニックでもOKだけど、出産は公立の病院でのみ可能)
インタビュアーの私達としては出身地として「サラエボ市○○地区」という答えを期待していたのだけど、子ども達は文字通り生まれた場所=コシェボ病院を答えにしたということだったのです。そりゃ皆一様に答えが同じ訳ですよね(^^;)

私自身も母が里帰り出産した先の産院で生まれた為、出生地と出生時に住んでいた場所は異なるのですが、産院のある場所と自分が生まれた場所というのは余り結びつかないので、生まれた場所は?と聞かれたら当時住んでいた街の名前を挙げてしまうかも。「出身地は?」と聞かれたら、現在実家がある市の名前でしょうか。でも、実際には1歳から7歳までは他の市で育っているし、実際のところはどこを出身地としたらよいのやら・・1つ救い(?)なのは全て同じ県内なので、県名で止めておけば迷う必要がないということでしょうか。

ところで荒川選手の「静香」という名前は、「静御前」と鎌倉にちなんで付けられたとの事ですが、子どもに自分の出自が分るような名前を付けるのもよいですね。でも、ボスニアを思わせる名前といって頭に浮かぶのは力士の四股名になりそうな名前ばっかりだったりで、まるきり命名センスの無い私なのでした(汗)
(※実際にはボスニアの川や山にちなんだ名前もありますよ)





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2006年05月02日

甘い人生

2日付時事通信によるとオーストラリア・ビクトリア州政府では肥満の子どもが増加傾向にある事を懸念し、小中高でのジュースの販売(ノーシュガーや低カロリー飲料を除く)を禁止する決定を出したそうです。

砂糖といえばボスニアでも砂糖の消費量は相当なもので、お菓子作りのレシピを見れば分量間違って倍にしてない??と思う位お砂糖を使うし、以前仕事で個人宅を訪問した際に1ヶ月(だったかな?)に一家で消費する砂糖や油の量を尋ねた際にも相当な量で驚いたものですが、現地の日刊紙Nezavisne Novineによるとこの地域で年間1人あたりの平均砂糖消費量は22Kg。ちなみに同じ統計によるとイギリス人は38Kg、アメリカ人は72Kgだそうで、日割りで計算するとアメリカ人の1日あたりの消費量は約200gになりますが、どうやったらそれだけの量の砂糖を消費できるのでしょう?

でも、喉の渇きを癒す度にノンシュガー以外の飲料を口にするだけでも、たちまちそれだけの糖分は取ってしまうのでしょうね。小学生の頃に偶然母親の料理本で炭酸水やジュースの中に入っている砂糖の量が20〜30gと半端じゃない事にたまげて、しばらくジュースはパック入りの小さいものしか買わなかった時期がありましたが、当時の缶ジュースは250mlだったのが、現在は缶なら350ml、ペットボトルなら500mlは入ってますから、そこに溶け込んでいる砂糖の量を考えると一本口にしただけでもそれだけで50g近くの糖分を摂取することになってしまいます。これだけの砂糖の量を砂糖として食べようと思ったら途中でギブアップしそうですが、飲みものの中に溶け込んでいると簡単に口にできてしまうのですから、恐ろしいです。

一般家庭におけるボスニア人の砂糖の消費量に肝を潰していたのも束の間、日本での1人当たりの年間消費量も検索したところ、ある調査によると約20Kg程消費しているとのことで、ボスニアとそう変わりがないのに驚愕煤i-0-;)しかし、考えてみれば日本人はお菓子に使う砂糖の量はやや控えめとはいえ、その分すき焼きや煮物等料理に度々お砂糖を使うし(ボスニア料理には砂糖は殆ど入りません)、飲み物にしても何かにつけてジュースを口にする機会が多い事を考えればボスニア並の砂糖消費量でも不思議はないのかもしれません。それにボスニアだって家庭で毎日お菓子作ってるわけでもないですしね。

砂糖の消費量を紹介していた新聞記事によると、150年前に比べると人が消費する砂糖の量は100倍と飛躍的に増加しているとの事で、各国の砂糖消費量よりそちらの方が驚きに値しますね。私も「疲れている時は甘いものが一番なのよね〜」と砂糖タップリのお菓子を口に運ぶのを少し控えめにしようかな。(と思うだけ>汗)
ダンナの親戚が「人生がほろ苦い時位コーヒーには沢山砂糖を入れて甘くしたいものさ」と言ったのが気に入って、以来我が家のゲストには「苦い人生なら甘さタップリに、甘い人生なら苦いコーヒー」をオススメしていますが、砂糖の消費量を減らす為にはまず自分の日々の生活を甘いものにしないといけないのかもしれません。(汗)





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2006年05月01日

鬼の居ぬ間に踊るネズミ

今日はボスニアで数少ない全国共通の祝日「メーデー」でした。
この日は野外でバーベキューをしたりレクリエーションを楽しんだりして過ごしますが、生憎ここ数日は天気に恵まれず、屋内で過ごした人も多かったのではないでしょうか。(TVではこんな天気にもめげずバーベキューをしている人達の姿も紹介されてましたけどね)

悪天候が続くと困るのがどんどん貯まる一方の洗濯物。気まぐれにお日様が顔を出した隙に何度も洗濯機を回さないとあっという間に着るものが尽きてしまいますよね。先週末からは殆ど晴れ間が覗かないので、5月だというのにせんとらるヒーティングで洗濯物を乾かしている次第です。

天気の悪い日は外に出れないとふてくされずに少々ことわざの勉強でも。

本来の洗濯とは少々ニュアンスが異なるようですが

「鬼の居ぬ間に洗濯」は

現地語だと

Kad macke nema,misevi kolo vode
猫が居ぬ間にネズミはコロ(旧ユーゴの民族舞踊)を踊る」

となります。

他の言語(英語、ドイツ語、スペイン語)の言い回しも検索してみたところ、猫とネズミの組み合わせが多いですね。「鬼の居ぬ間に洗濯」だと慌てて用事を済ませてしまおうというイメージが湧きますが、猫がいないのを見計らってネズミが踊る、というのは何とも微笑ましい光景ですね(^^)それとも、スペインのねずみは情熱的にフラメンコとか舞ってみせるんでしょうか?

ダンナに「鬼の居ぬ間に・・」を直訳して説明したところ、「日本人は滅多に洗濯しないのか?」と突っ込まれました(汗)いや、私がここ数日洗濯できないのはお天気が悪いせいですから・・・

ネット上我が家の息子の事は現地語で「ねずみ」を意味する「みっしゅ(Mis)」と呼んでいますが、今はママべったりな我が家のみっしゅも何年後かには猫(私)が居ぬ間に息抜きしようとか思うようになるんでしょうね、きっと。

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2006年04月25日

MY BIG FAT GREEK WEDDINGを観る

ネタが多すぎるイースター関連の記事は追々Upしたいと思いますが
正教繋がりという事なのでしょうか、イースター当日の午後にRTRS(スルプスカ共和国放送局)で「MY BIG FAT GREEK WEDDING」が放映されました。ちなみに現地語タイトルは「Moje (Veliko)Grcko Vencanje」です。

低予算で制作された映画にもかかわらず全米で大ヒットした作品との事で既に御覧になられた方もいるかと思いますが、ざっとあらすじを紹介すると、30歳になるギリシャ系の女性・トゥーラが運命の男性イアンと出会いプロポーズされますが、ギリシャの伝統を頑なトゥーラの家族に結婚を認めさせるまでにイアンが数々の文化習慣の壁ををクリアしていく、といったストーリーです。

ストーリーとしては典型的なラブストーリーなのですが、ギリシャ人とセルビア人のメンタリティーの相似性が私とダンナのツボを見事についた映画でした。(Opa!も連発してるしね)
特にトゥーラの親族一同がイアンを熱烈歓迎するシーンにはあれは私がダンナ宅を初訪問した時を重ね合わせて爆笑。実は、日本からやって来た将来のSnajka(親戚の嫁)候補を一目見ようと、到着した当日からダンナの親戚、知人、友人がひっきりなしにやって来て、30時間の旅の末に疲労困憊でまともに目も開けていられないのに、ゆっくり疲れを取る暇さえなかったのでした。
見知らぬ土地で暖かい(情熱的な)歓迎を受けるのは嬉しいものですが、それを好意的に取れるかどうかは時と場合にもよるかもしれません。後に知人の1人も「全く私達は人が来たら即座に飛びついていって普通に挨拶が出来ないんだから・・」と苦笑してましたから・・(これは当時の私の胸の内を代弁する言葉でもあります)
それから、べジタリアンのイアンに対するトゥーラの叔母のセリフ「肉がダメなら”羊”があるから大丈夫よ」、この映画中一番の名(迷?)文句です。
以前ベジタリアンの友人と入ったレストランでウェイターに「肉がダメなら鳥がありますよ」とマジ面で言われて大コケした事がありましたが、羊は・・・肉だろっ、肉!!(爆)


愛の為とはいえ、異文化を受け入れるのは簡単ではないはずだけど・・
posted by Mic'o at 21:35| Comment(7) | TrackBack(0) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月14日

祝日ラッシュ in BiH

今週から来週にかけてのボスニア・ヘルツェゴビナ(以下BiH)は宗教上の祝日ラッシュです。欧州諸国ではイースター前後が休みになるためか、国外在住でボスニアに帰省される方も大勢いますが、夫の友人からも次々と帰省の連絡が入っています。我が家にもダンナの幼馴染が数日泊まる予定です。(多分ダンナと外で飲み歩く事が予想されるので、我が家で過ごす時間は殆どないでしょうけど)


ここ2週間の祝日リストは以下の通り

・4月11日     イスラム教 預言者生誕祭
           (DAN RODJENJA MUHAMMEDA A.S.)

・4月13日〜20日 ユダヤ教 過越祭

・4月16日     カトリック イースター

・4月23日     セルビア正教 イースター

これらの日付は宗教上で用いる暦のずれや、満月の出る日により毎年変動します。
不定期でカトリック(+キリスト教でも西方教会派)とセルビア正教(+キリスト教でも東方教会派)のイースターが同日に祝われる年があるのですが、来年は丁度その年にあたるそうで4月8日がイースターになります。(ちょっと気が早いですが・・)

これまでイースターの日が何故毎年ずれるのか謎を抱きつつも毎年の話し合いで決定されるのだろう、位に考えていたのですが、キリスト教においては325年に行われた第1回ニケア公会議(もしくは全地公会議)で「春分(3月21日)の次の満月後の最初の日曜日」をイースターとする、という決議に基づいているそうです。ユダヤ教のイースターにあたる過越祭も満月が基準になっているし、こちらはイスラム教ですが確かラマザン・バイラム(断食明けのお祭り)も月と関係がありましたよね。まだまだ勉強する事山積みですが、こうして日々の謎を解いていくのは楽しい事でもあります。

<本日のオススメ>


バルカンを知るための65章

バルカンを知るための65章 柴宜弘 著 明石書店

posted by Mic'o at 17:14| Comment(4) | TrackBack(0) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月05日

カフェdeお花見

息子を予防接種に連れて行った帰り道、ダンナ行きつけのカフェの前を通りかかると偶然友人達が屋外のテーブルに座っているのを見かけたので、即寄り道決定。

カフェの敷地に植えてある木(プラムの一種)も満開の花をつけ、私達の足元や座っているテーブルの上にハラハラと花びらが舞い降りてきます。一般的にボスニアでは日本のようなお花見の習慣はありませんが、ふんわりと花の匂いが漂う中ドリンクを飲みながら気の知れた仲間と時を過ごす事でちょっとしたお花見気分が味わえました。ちなみに同席した面々はダンナ(職場が春休み中)とその友人(自営業で時間の都合がつく+カフェのオーナー)なので平日の昼間からこんなのんびりとした時間が過ごせるのです。
vagabond.JPG

zerzerija.jpg

女が3人集まると「かしましい」そうですが、ダンナの友人が3人集まると黙々とカードゲームを行います。時々ここでは書くのがはばかれるような悪態も飛びかいます(汗)

kartanje.jpg

皆真剣なので?!ノンアルコールで勝負です(笑)
敗者にはもれなく参加者の飲み代を肩代わりする、という任務が与えられます。
敗者の名誉の為、結果の公表は控えさせていただきます・・・

cvece.jpg
雪に代わって地に積もる花びら@息子撮影

<お知らせ>
再びリンクの方再開しましたが、全てのリンクが張り終わるまでもう少し時間が掛かりますので御理解の程よろしくお願いします




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2006年03月23日

帰宅しました

通訳業務の為、一週間程ボスニア全土を一周してまいりました。
昨日(22日)の朝帰宅してから1日中頭はやけに冴えているのに肉体はほぼ完全ダウンという状態でしたが、今日は体と頭のテンションにバランスが取れてきました。
この一週間どのように過ごしていたのかは後日順を追ってUpします。

今回はまずMici'n Svijet kroz Teleidoskopから

starimostkrozkaleido.jpg

これはどこの風景かといえば

starimost20062.jpg


starimost2006.jpg

ボスニア南部・モスタール市のStari Most(スターリモスト)です。
内戦時に破壊されたものの、昨夏修復が終了した事に伴い世界遺産に登録された事はこのブログ内でも紹介しました。
ただ、残念な事に、今月初め、市内のスポーツチームのサポーターの仕業と思われる落書きが発見され、ニュースでも大きく報道されました。


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2006年03月07日

ここらで本気を出してきた?!



毎年春に行われる「ユーロビジョン・ソング・コンテスト(以下ESC)」に今年はボスニアから「Hari Mata Hari」が代表として出場する事になりました。
出場自体は1月に決まっていたようですが(帰省中でニュースフォローしてませんでした)、「Hari Mata Hari」といえば、ここ20年ボスニアをはじめ旧ユーゴの音楽界をリードしてきた大物グループ。一昨年のDeen、そして昨年のFeminnenも現地では人気があるとはいえ、やっぱり格が違います。
しかも、今回は2年前のESC本選にてウクライナ代表のルスラナと熾烈な優勝争いを繰り広げたセルビア・モンテネグロのジェリコ・ヨクシモビッチが作曲で参加するなど強力なサポートも登場!ジェリコはESCで披露した「Lane Moje」でボスニアの人々を魅了したのをはじめ、Hari Mata Hari同様ボスニアの歌謡界では大御所の域に入るのディノ・メルリンと「Superman」を発表するなど、ボスニアではもうお馴染みの顔となっています。

昨日Hari Mata HariがESCで歌う楽曲を披露するイベントがサラエボの国立劇場で催され(TVでも生中継あり)、第一回出場のサバフディン・クルト(古きよき時代の音楽で、聞いていて思わずウットリ)やDeen、Femminenなども代表当時の曲を披露した後、ついに今年の代表曲が発表されました。
今年アテネ(ESCの会場)の地で欧州の人々の心を掴むだろう曲名は、「Lejla(レイラ)」。
レイラという名はエリック・クラプトンの「Layla」、香坂みゆきの「レイラ」(知ってます??私の記憶には何故か強烈に残っております)など他にもこの名を冠した楽曲がありますが、旧ユーゴ時代を含めボスニアがESCに送り出す楽曲でも今回のレイラは「2人目」で、1981年ダブリンで行われた大会でSeid Memicが発表したのが「初代」レイラだそうです。

ジェリコの楽曲らしく、しっとりとエスニック調のメロディーに仕上がっており、本番では民族舞踊など様々なパフォーマンスも加わるようです。TVではジェリコがバイオリン奏者を始動する様子も紹介されました。ボスニアとセルビアの2大ミュージシャンによるまたとないコラボレーション、聴かせるだけでなく、魅せるパフォーマンスを大いに期待したいと思います。尚、現時点でESCにおけるボスニアの最高成績は先に紹介したディノ・メルリン(&ベアトリス)の7位ですので、それを超える成績を残せるかも楽しみなところです。








posted by Mic'o at 04:27| Comment(5) | TrackBack(0) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月04日

ボスニア代表 再び「サムライ」と対戦か?!

2−2の引き分けで決着を見た日本vsボスニア戦はまだ記憶に鮮明なことと思いますが、今日付(3日)の日刊紙「EURO BLIC」のスポーツ欄で、小さい扱いですが「ボスニア代表 キリンカップへ」という記事を発見!要約すると先の親善試合が行われたドルトムンドにおいて両国のサッカー協会上層部がボスニア代表の同大会への参加について基本合意した、との事ですが、他の新聞(少なくともネット版では)では同件に関しての報道は見当たりませんでしたし、日本側では同じく今日付の共同通信社の報道としてキリンカップ日程に関するニュースはありましたが、そこでは対戦相手に関して言及されてませんでした。

この話題がボスニアの主要紙ではなく、ボスニア代表に対する関心が低いスルプスカ共和国側の新聞に出てきたというのがまた興味深いところですが(EURO BLICはセルビアで発行されているBLICのスルプスカ共和国版)、W杯前に今一度「仮想クロアチア」の役を演じるのか、それとも単なるデマなのか、暫く日本とボスニアのメディアを要チェックです。もし、「関連の記事をどこかで見かけた(聞いた)」という方がいらっしゃったら情報お願いします☆

<追記>

残念ながら日本代表との再戦はなく、5月下旬に日本のお隣・韓国との親善試合が行われました

posted by Mic'o at 04:39| Comment(2) | TrackBack(1) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

変わらぬ景色も視点を変えれば・・

先日ドイツで行われた日本vsドイツも凍えそうな寒さの中で行われましたが、日本から戻ってからというもの春の訪れを思わせるような陽気が続いたボスニアも先週末から雪がちらつく事が多くなりました。ここデルベンタも束の間の青空がのぞいた水曜以外は、窓の外は雪景色。でも、思い返せば昨年も同じように寒の戻りに溜息をついていたのでした。

snijeg2marta.jpg

PC机横の窓から見える景色はここ数日変わらないので、ちょっとこんなものを使って気分転換。

snijegkrozteleido.jpg

この写真、テレイドスコープをデジカメのレンズに当てて撮影したものです。
テレイドスコープとは万華鏡の一種で、皆さんにお馴染みの万華鏡(カレイドスコープ)は中に入っているビーズなどの動きの変化を楽しみますが、テレイドスコープは先端が鏡になっていて、そこに映る外の風景が変化するのを楽しむというもの。実家に帰省中近所のスーパーで万華鏡展が開催されていた折、場の流れで見学に行ったのですが、バラエティーに飛んだ様々な万華鏡、とりわけテレイドスコープに魅了されてしまった私。イベント会場で自分用には購入したものの、お土産用に追加で買おうと思ったら案外見つからないものですね。散々大手スーパーなどで探した挙句、やっぱり通販で買うしかないかなー(しかし送料が現物一本分とほぼ同額なので躊躇)と思っていたところ、ダメもとで訪ねた大手文具店で発見。即決で自分用(予備)とお土産用の2本を購入しました。
案の定、おみやげに渡したダンナの親友一家は大喜びで子どものみならず、大人も興味津々で覗き込んでいたのですが、そこでダンナの友人の奥さんがナイスな一言。

「あら、小さい日本人がたくさん歩いてるわ!おもしろーい☆」

・・・その小さい日本人は、あなたのお姑さんですから・・(汗)

彼女は外の景色が変化して見えているということに気が付いていなかったらしいです。その小さい日本人疑惑(笑)を掛けられたお姑さん曰く、一昔前万華鏡は「Kino(映画館)」と呼ばれていたそうです。

ここでブログ新企画の発表なのですが、「Mic'in Svijet kroz teleidoskop」と称して、時々テレイドスコープを通じて見えたボスニアの景色も紹介していきたいと思います。かなり自己満足的な企画ではありますが、皆様にクスっと笑っていただけるような作品が紹介できればと思ってます。
posted by Mic'o at 05:10| Comment(7) | TrackBack(1) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月23日

17%の痛み

今年初めからボスニアでは17%の付加価値税(porez na dodatnu vrijednost、以下PDV)が導入されています。
日本のように3%→5%と段階的に引き上げられているのではなく、一部を除き無課税だったのが一気に17%ですから、家計への打撃は軽くないことは一目瞭然ですよね。
1月2日付の日刊紙Nezavisne Novine(オンライン版)によると、PDV導入により物価も7%から30%上昇。首都・サラエボでは12月の物価と比較して食用油が1リットル1.55KM(約109円)から1.74KM(約125円)、マヨネーズ(265g)が2.29KM(約160円)から3.37KM(約236円)に値上げしたのをはじめ、バニャ・ルーカでもパンの値段が0.80KMから1KMもしくは昨年末の値段から25%上昇しています。物価全体が上昇傾向にある中、バニャルーカの食品会社「Mljekara」のようにPDVの影響で原材料や公共料金が引き上げられる中製品の価格を据え置いている企業があったり(但し一月末にもう一度価格の見直しを検討するとコメントあり→その後どうなったのか未確認)食用油、小麦粉、パン、牛乳の基本4品目に関しては昨年11月30日時点の価格に据え置く動くもあるようです。
公共料金に関してはサラエボでバス料金が1.5KMから1.6KMに、バニャ・ルーカでは水道料金が利用者のカテゴリーに合わせて12%から17%値上げしたとの事です。
 

これも日本で言うところの「痛みを伴う構造改革」なんでしょうけど、痛みの先に何が待っているのでしょうか?税導入の行く末を一市民として見守りたいと思いますが、その前にかなり懐が痛むのは確かです(汗)

posted by Mic'o at 02:25| Comment(2) | TrackBack(0) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月22日

お久しぶりです From BiH

密かにボスニアへ戻ってから10日程が過ぎました。

この間、仕事(2件)と我が家のスラヴァ(セルビア正教徒が祝う各家庭の守護聖人の日)が重なり、帰宅後の一週間は文字通り怒涛の日々を過ごしておりました。そのお陰で時差ぼけもすっきり解消!(といいつつ、最初の3、4日は親子共々4時起床19時就寝という生活だった・・>汗)

さて、この間のボスニア情勢は北西部のヤイツェ付近で鳥インフルエンザ発生が確認され、バニャルーカ付近ではQ熱(羊から感染)が発生し10名が病院に収容、そして昨日はボスニア内戦時のセルビア人勢力2大戦犯でもあるムラディッチ氏逮捕か?のニュースに旧ユーゴ内が騒然とするなど(このブログを書いている時点では逮捕の公式発表なし)こちらも慌しい動きを見せております。またご存知の通り明るいニュースとしては、日本でも既に報道されている通りベルリン映画祭でボスニア映画「グルバビッツァ」が金熊賞を受賞しております。
今後はサッカーの日本代表が28日にボスニア代表と親善試合を予定しており、その絡みで日本でも少しはボスニアを取り上げる機会が増えるかもしれませんね。

この週末から3月下旬に掛けては、定期的に受けている仕事に加え何度か出張の予定が入っている為(仕事って来るときは集中して入るのです)、思うように更新できないかもしれませんが、ネットサーフィンのついでにお立ち寄り頂ければ嬉しいです。

それから、この場を借りまして日本で会うことが出来た、もしくは電話でお話する事が出来た皆様、本当に楽しい時間をありがとうございました。この先もブログの枠を越えてお付き合いくださいね☆

P.S.
相互リンクして頂いている皆様へ

未だリンクの方復旧しておりません。もう暫くお待ちいただければ、と思います。


posted by Mic'o at 17:09| Comment(4) | TrackBack(0) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月16日

重いほど確実です

ボスニアから日本に手紙を送る際、無事に届くかどうか心配になる方もいらっしゃるかと思いますが、重さがあればあるほど確実に届きます。

なぜなら航空便の場合、ある一定の重量(といっても数十グラム単位)以上の郵便物は全て「書留扱い」で送らなければならないからです。

先日日本に仕事関連の書類を郵送する必要があり、書類本体+αで約20ページに及ぶ郵便物を最寄の局に持っていったのですが、約160gの郵便物の送料は日本円にして約1700円!比較対象として日本の郵便料金を引き合いに出すと、航空便の料金(250gまで)670円、自らの希望で書留扱いにしても+410円で1000円ちょっと。この2国間の郵便料金でみると1.7倍の差があります。

強制書留扱い自体については、日本へ結婚の挨拶状を送った時などに経験しているので驚きはしませんでしたが、書留料を入れてもこの料金の半分位と見積もって買い物帰りの非常に軽いお財布を携えて郵便局まで足を延ばした私は、後日改めて出直す羽目になったのでした。窓口のお姉さんも色々郵便料金を低く押さえる方法を考えてくれたのですが、航空便だとどうしても書留扱いになってしまうという事で、船便でちんたら送っても相手に迷惑を掛けるだけですし、最終的に出戻りで書留扱いの料金を払いました。でも、結局は送料も相手負担ですし、必要外の書留扱いになったのも私の不可抗力ですし、後は無事に届く事を祈って・・って無理やり書留扱いにされて届かなかったらシャレにもならないですが(汗)

郵便で出す以上相手に届かなくてもよいものというのはないのだけれど、書留にする程の重要性があるかどうか、となると、普段送る写真同封の手紙やお祝いのカードは書留という保険を掛けて送る程ものでもないかと。(でも写真はプライバシーもあるし大事かも・・)
写真や手紙、そして各種カードの送付までネットで済ます事のできる今日でも、郵便局大好きな私としては手紙の持つ良さを大事にしていきたいと思うのですが、ちょっとしたものを送るのにも料金を上乗せされてしまうとなると、やっぱりネットでいいか、と安上がりな方に流れてしまう自分もいるわけです。今回もネットで既に送った書類を、改めて郵送で送る事になったという経緯があり、それで余計に書留扱いになった事に対して割り切れない気持ちがあるのかもしれません。

書留といえば、大学卒業間際の3ヶ月程をセルビア・モンテネグロのベオグラードで過ごしていた際、卒論を書留と普通郵便扱いで2通作り日本の教授宛てに送った事があります。(ちなみにテーマは旧ユーゴと何の関連もありません)
重量は今回送った書類の何倍もありましたが、ボスニアと違って無断で書留にされる事はありませんでした。ただ、局員が私をベオ大の留学生と勘違いしたらしく、書留扱いにした方の論文をしげしげと眺めながら「この書類にはベオ大のハンコがなくてよいのか?」と何度も念を押されたのを思い出します。
「卒論をベオで書き上げて日本に郵送した」と話すと、DHLあたりを利用したのかと想像される方もいらっしゃるようですが、私が送ったのは普通の航空便です。全く海外まで行って何してたんでしょうね、私は(爆)

日本も郵便公社が民営化すると郵便料金体系も大幅に改定するのでしょうか?
航空便の小包がこれ以上値上がりすると日本からの救援物資も滞りそうで、その辺かなり不安です。

※今回の郵便事情はボスニアでも私が利用するスルプスカ共和国側の郵便局の料金設定であり、ボスニア連邦側の郵便局では扱いが異なる可能性がある事御了承ください。



posted by Mic'o at 05:15| Comment(8) | TrackBack(0) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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