2005年10月21日

起きてくれたらいいのに・・・(T-T)

こないだの日曜日、ダンナの親戚の一周忌があったので家族3人墓参り&法要に行って来ました。
デルベンタ近郊の村にある墓地には私達を含め親戚・知人30人程(これでも極々内輪)が集まったのですが、最年少の息子は墓地の敷地内を走り廻るまではしないまでも、時折静寂を保つべき場所には相応しくない声のトーンでおしゃべりをしたりするわけです。いつも遊んでもらっている従姉妹なども参列していたのではしゃいでしまう気持ちは分りますが、幾ら幼くても場の雰囲気に合わせるという事はしっかり教えなければなりません。まあ、息子も皆が普段と違った様子というのは分る年齢だし、墓地では「みんな眠っているのでここでは静かにするんだよ」とは毎回言い聞かせているので、自ら口に指を当てて「シー」というジェスチャーを取ったりもするのですが、最後から最後まで静粛にというのはまだ無理があるようです。

いつものように「ここには○○おばちゃんが眠ってるんだよ。おばちゃんはみっしゅ(仮名)にいつも優しくしてくれたでしょう?だからゆっくり休んでもらおうね」という事を話して聞かせたのですが、この日の息子は「大好きだったおばちゃんがここで眠っているのは分るけど、どうしてうるさくしても起きないの?」と疑問に思った様子。
普段、「タタ(現地語で「パパ」の意味)が疲れて少し横になってるから起こさないように静かにしていようね」と言われるのだから、もしお墓の周囲が騒がしかったらおばちゃんが起きだして皆嬉しくなるんじゃないの?とでも思ったのでしょうか?
「いや、亡くなった人が目を覚ましたらそれはそれで大変な騒ぎになるんだよ」とは言わず、「お墓の中で眠っている人は起きる事はできないんだけど、皆がうるさくしてたら『みっしゅはまったく騒がしいな〜』とか気になってゆっくり眠れないんだよ。」と半分フィクションを交えた答えを返しましたが、息子にも理解可能な答えを考えながら、「本当に起きてくれたらいいのに・・」と心から思ってしまいました。

墓地から法要に向かう車中、ダンナに一連の話をしたところ「それじゃ映画やTVの世界だよ」と苦笑いされましたが、五十路に入るか入らないかで亡くなった彼女は料理の達人で特に自家製チーズとお菓子に関しては1日弟子入りさせてもらいたい、と思いつつ時ばかりが流れてしまい、結局幻の師匠弟子関係となってしまいました。こういうのを後悔先に立たずっていうんだな〜って実感。道沿いの木々の葉が散り行く様子を車の窓越しに眺めながら、命の儚さについてちょっとセンチに考えてしまったのでした。

posted by Mic'o at 19:45| Comment(7) | TrackBack(0) | intermezzo(つぶやき) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
なんかちょっと切ないですね。
自分が大事にしてる人達だっていつまでそばにいられるかはわからないけれど、毎日生活してるとついそれを忘れてしまいます。これが会える最後かもしれない、と思えばお互いもっとやさしくできるんでしょうけども。
お盆やお墓参りには、故人の霊や残された人を慰めるだけじゃなく、手を合わせるひと時にそういったことに思い巡らせ、周囲の人や自分の時間を大切にしようと気持ちを改める意味があるのかな、と思います。
Posted by デベラ at 2005年10月22日 03:49
法事ご苦労さまでした。子供にいろいろ説明するのも大変ですよね。私は言葉につまることが多々あります。おかげで自分も新たに発見することとか納得することも良くあります。子供とともに成長(遅いって!)とはこういうことかな〜??それから、なくなった方をたまに思い出すって一番の供養じゃないかと思います。思い出だけは色あせることはないってね。。。。あーセンチがうつったぁ(^^)
Posted by あさこ at 2005年10月22日 04:00
法事ご苦労様でした。大人になると去っていく命も産まれてくる命も目の当たりにし、両方とも生きていく上で避けて通れない事なだけにとても意味深いですよね。お寺の住職をしている友達によると、故人の事を思うだけでもりっぱな供養になるそうです。
Posted by ヤパンカ at 2005年10月23日 04:23
親しい人が逝ってしまうのはこたえますね。息子さんの無垢な気持ちがぐっときました。私もこの夏相次いで夫の親戚を亡くし、命のはかなさを思い知ったところでしたので、Mic'oさんの気持ちよくわかります。
Posted by snow62 at 2005年10月23日 04:59
>デベラさん
一緒に生活を共にしていると、相手への感謝をいつのまにか忘れているようなんだけど、そういう生活の中でもふとした瞬間に「一緒にいれてよかったな」と思うこともあるし、デベラさんがおっしゃるようにお盆などの機会にそういった事を改めて考えたりもするし、四六時中でなくても時々は相手あっての自分という事を思い返す時間を持ちたいですね。

>あさこさん
子どもは心に思ったことをストレートに尋ねてくるので、受け止める方がオタオタしてしまったりするのですが、新たな発見、というだけでなく、子どもだった自分を振り返る、という事でもあるのではないかと思います。故人は土の中に眠っていても、生きている人の思い出の中でその存在は消えないし、肉体消えても魂消えずって感じでしょうか。

>ヤパンカさん
新しい命が誕生し、その一方で消えゆく命がある・・それは生命のサイクルなんだけど、つい自分もそのサイクルに乗っている事をつい忘れがちになっています。様々な事情で葬儀や関連の行事に出席できず悲しい思いをした事が何度かありますが、どこにいようとも故人を偲ぶという事はできますね。それだけでも立派な供養になると聞いて慰められました。

>Snow62さん
誰かの死に直面すると老いていても若くても死とは隣り合わせで生きているのだな、と認識せざるをえませんよね。息子にはまだ「死」という概念はないのかもしれませんが、自分を可愛がってくれた誰かがもう帰ってこない=悲しいという事は何となく理解しているみたいです。そうやって段々命の大切さというものも分ってくるのかもしれません。
Posted by Mic'o at 2005年10月24日 04:10
"「いや、亡くなった人が目を覚ましたらそれはそれで大変な騒ぎになるんだよ」とは言わず"のところ、ちょっと吹き出しちゃいました。

なぜか最近とみに実家に帰ると両親がなくなったらどうなるだろう、とか考えてしまいます。まだ60過ぎでも病気一つしたことがなくピンピンしている両親なので、この人たちがいなくなる日が来ることが想像できないな、と思いながら。でもいつかそういう日がくるんだろうと思うと、なんだか涙がでてきます。亡くなった後に気づくより、こうやって前々からそういうことを感じられた方が時間を大切にできるかもしれないんですが。もっとしょっちゅう実家に帰ろうかな、とか思っちゃいます。ほんとなら孫の顔でも見せて喜ばせてあげたいな、と思うんですけどね。
Posted by ばぁちゃん at 2005年10月31日 09:37
>ばあちゃんさん

レスが遅くなってごめんなさい。
余り考えたくはないけど、新しい命が誕生する一方で消えていく命もあるわけで、私達皆そのレールに乗って人生を送っているのは分っていても、身近な誰かに早かれ遅かれその日が訪れるというのはなかなか受け入れ難い事ですね。
私も年に一度帰省する他は音信不通状態だったりするし、ドーンと何か大きい事をするんじゃなく、こまめにこちらの状況を報告するとかそういう事をしていかないといけないんですけどね。どうも照れが先に来てしまって・・いかんなぁ〜(--;)
Posted by Mic'o at 2005年11月03日 21:37
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