2006年05月16日

Si vas para Chile..

先日チリのミチェル・バチェレ大統領がバニャ・ルーカを訪問し、大統領評議会議員(※1)であるバラバツ氏と会談、そしてEUFOR(※2)の一員としてバニャ・ルーカ近郊に駐留しているチリ軍を慰問しました。
この後日に欧州連合(EU)・中南米・カリブ諸国首脳会議が開かれた為、この会議に参加する途中、どうせ近くまで行くのだからついでに自国軍が展開するバニャ・ル−カ(正確にはバニャ・ルーカを含むボスニア北西部)に立ち寄ったのだろうといった程度に考えていたのですが、私と同期でチリに留学していた友人によるとバチェレ女史は大統領に就任する前は国防長官(ministro de defensa)を務めていたそうで、そういった意味でも彼女にとって同国軍隊は特別な意味があるのではないかとの事でした。なるほどね〜

(※1)ボシュニャ−ク人(ムスリム系)、クロアチア人、セルビア人の各代表で構成され、輪番で議長(=国家元首)を務める。現在の議長はクロアチア人のイーボ・ミーロ・ヨビッチ(Ivo Miro JOVIC)

(※2)ボスニアの和平維持の為展開していたSFOR(NATO中心)に代わり同様の目的で2004年12月から駐留するEU軍(EU−FORCE)。但しEU諸国だけでなくカナダやチリ、トルコといった非EU諸国も参加している。ちなみに私が住むデルベンタにはポルトガル軍が駐留。

eufor.jpg
(EUFOR所有の車両。サラエボにて撮影)

私がチリ軍がボスニアに駐留しているのを知ったのは昨年夏の事で、友人2人とバニャルーカ市内の公園を散歩している時でした。手前からSFOR(当時)の軍人とその通訳と思われる女性が歩いてきて、こんな街中の公園をパトロール中なのかそれとも暇を持て余してお散歩中なのか・・と思いつつ通りすがりざまに兵士の腕に付いている腕章へ目をやると、
これがなんと懐かしのbandera nacional de Chile(チリ国旗)ではないですか!
留学以来一度もかの地を再訪していない薄情な私なのに、国旗を目にした事でチリに対する懐かしさが溢れてきて、思わず兵士に握手を求めたくなったが、相手は勤務中(かもしれない)の兵士。そして私は団体行動の身。惜しいけど、ここは涙を飲んでチリ人の存在が確認できた事だけで感謝しよう。そう思って後ろ髪を引かれつつその場を離れつつあった私だったのに、人生は一期一会、恥は一時とばかり、この数分後

「悪いけど、ちょっと先に行っててくれる〜!!」

と友人達に言い残し、逆方向へ去っていくチリ人兵士御一行様を追いかけ、ミュールで全力疾走していたのでした。(汗)

幸い、後ろからゼエハア言いながら迫ってくる東洋人女性に警戒して銃を向ける事無く、チリ兵士+通訳の方々は暖かく応対してくれました。しかも丁度彼らもティータイムにしようと思っていたところだったらしく、友人達が待っているカフェでしばし一服。思っていた以上に錆びがこびり付いたスペイン語(+通訳のお姉ちゃんの助け)でチリトーク。お約束(?)でチリのスラングに大ウケしたり、記念撮影したり、兵士の方々にも楽しんでいただけたようで、最後に1人の兵士の方が自分の腕から腕章を外し、裏面に3人のサインを入れてプレゼントしてくれました。

zastava.jpg

思いがけなく、記憶だけのみならず形にも残る思い出ができて満足した一時を過ごした私ですが、慢性運動不足な上にヒールの高いミュールでのダッシュが相当こたえたようで、翌日はまともに歩く事ができないというオチがついたのでした(泣)ちなみにボスニアで日本人を見かけても全力疾走で追いかけていく事はないので、訪問予定(もしくは滞在中)の皆様はご安心下さい。

そもそも旧ユーゴにこれほどの関心を持つようになったのはチリ留学中のある出来事(といってもサッカーの試合ですが)がきっかけでもあるし、もう長い事その土を踏む事はなくても、私にとって特別な思い入れのある国には違いありません。残念ながら普段の生活にチリとボスニアの繋がりを感じる事は殆どないのですが、チリ大統領の訪問やチリ軍兵士との出会いに小躍りする自分の心の中でボスニアとチリが繋がっていることを感じるのでした。


♪ Si vas para Chile, te ruego viajero, 
  le digas a ella que de amor me muero・・

              (「Si vas para Chile」より一節)

※「Si vas para Chile」
チリ国民の間でよく知られている祖国への望郷の想いを込められた歌。
検索したところ、日本でもさだまさしが歌っていた事が判明(さだまさしサイトに歌詞あり。但し英語バージョン)www.sada.co.jp/masashi/lyric/esivaspa.htm
posted by Mic'o at 02:48| Comment(8) | TrackBack(1) | BiHココロのメモ帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たいへん、ご無沙汰しています^^やっと、平常モードに近い形になってきました。(でもやっぱりなんだかんだで、バタバタしてます)結果報告をまとめているところですので、もう少し待ってて下さいね。そして、あの節は本当にアリガトウございました!

『ちなみにボスニアで日本人を見かけても全力疾走で追いかけていく事はないので、訪問予定(もしくは滞在中)の皆様はご安心下さい。』の部分に大うけ!でも、懐かしいチリの方を一生懸命追いかけているMic'oさんを想像して、^^となってしまいました。で、ドボイ駐留ってポーランド軍なの???(私がお城で出会ったのがワルシャワの人だったから…)また遊びに来ます♪
Posted by わはは大空 at 2006年05月16日 13:19
>わはは大空さん

復活お待ちしてました〜(ってイースターみたい?!)
約1ヶ月間に渡る全力疾走はさすがの大空さんにも疲労を与えたようですが、まずはゆっくりとクールダウンしてくださいね☆

そうそう、「ボスニアで日本人を見かけても・・・」の記述を加えておかないと何だかいつでも誰かを追いかけてるみたいで日本人の方々に警戒心を与えるかと(爆)逆に日本人の見かけても余り話し掛けないかな。同国人だからといって話し掛けられるのを好む人ばかりではないものね。私も旅先では1人でいたい時もあったし。(ダンナにはそういう気持ちが理解できないらしい)
うちのダンナもいつもというわけではないけれど日本人に声を掛ける事があるので、「NHK国際放送の海外安全情報で二本語で気軽に話し掛けてくる外国人には気をつけろっていってたから、あんたも疑われてるかもよ〜」とからかってます。でも折角親切にしたくて声を掛けてるのにはなから疑われるのもかわいそうよね。

EUFORの件、ポーランド軍がドボイ駐留なのかどうか(確かに良く見かけるけど)確信が持てなくて、今一度EUFORのサイトで検索したところ、ポーランドはドボイから少し離れたテスリッチやトゥズラ近郊のルカバッツを管轄しているようです。ドボイには北部を管轄する部隊(Multinational Task Force North )の主要なキャンプの1つが置かれているみたい。

では、そちらの更新も楽しみにしていますよ♪





Posted by Mic'o at 2006年05月16日 16:34
またしても、ネタをパクらせていただきました。<(_ _)>

私の方は、クロアチア軍人の腕章です。
Posted by YOKO at 2006年05月16日 22:47
>YOKOさん

いえいえ、1つのネタから色んな話に発展していくのは楽しいので、よかったらいつでもブログのネタとして使ってください。その際にはトラバもして頂けるとうれしいです。
(右サイドにトラバ表示の項目はありませんが、各ブログのコメント下にトラバ記事が紹介されるようにはなってますので)
Posted by Mic'o at 2006年05月16日 23:19
ありがとうございます。

ということで、トラバさせていただきました。
(引越し以来、初めて使った機能なので、
やり方わからず戸惑ってしまいました・・・)
Posted by YOKO at 2006年05月17日 20:59
>YOKOさん

トラバして頂きこちらこそありがとうございました。
同じネタでつながっているなら、YOKOさんのブログの方も他の方にも呼んで頂きたいなーと思ったので。

私もしばらくトラバの仕方間違えていて、相手方にきちんと反映できなかった時期がありました。面白いシステムだとは思いますが、ブログの内容とは全く異なる記事にトラバされているのはちょっとどうしたもんかと思いますね。(アダルトだったら有無を言わさず消してしまいますけど)
Posted by Mic'o at 2006年05月18日 01:07
こんにちは!
チリの大統領が女性で、しかも以前国防長官でもあったというのを知らなかったのでびっくりしました。ちょっとネットで探して見たんですが、チリ史上でも初めての女性大統領なんですね!

ずいぶん前いとこが外交関連の仕事で駐在していたのですが、あまり交流がないいとこだったので、行く機会にも恵まれず、残念でした。まだ南アメリカには足を踏み入れる機会に恵まれていません。


 
Posted by chottocafe at 2006年05月18日 02:20
女性の大統領って世界中でもまだ少ないですもんねー。しかも前身が国防長官(という表現で正しいのか分りませんが)という人は希少でしょうね。

従兄弟の方もチリにいらしてたんですね。私が15年前(91年−92年)に滞在してた時は、丁度最初に住んでた街にJICAの方が何人か駐在されていて食事に呼んでいただいたりしました。あとは珍しく(といっては何ですが>汗)大使館の女性の方がとても親切だったのを覚えてます。
もし、滞在時期が重なっていたらどこかで知らぬうちにお会いしているかもしれませんね。
Posted by Mic'o at 2006年05月18日 15:40
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Excerpt: またしても、Mic'oさんの腕章ネタに便乗させていただきます。 軍人の腕章というところも同じでございます。 フ・フ・フ・・・、私も頂いたのですよ、その腕章を・・・(^。^)y 違うところ..
Weblog: ほろ酔いPhoto日記 novo 
Tracked: 2006-05-17 20:55
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